セマー 1/72 SME72941
チェコ・アヴィアS-199戦闘機
価格はリストに掲載されています。ご覧下さい。
S-199は、第二次世界大戦後にチェコスロヴァキアの航空機メーカーであるアヴィア社が開発し、イスラエル空軍で運用された戦闘機である。第二次世界大戦中、Bf 109をナチス・ドイツの命令でライセンス生産していたアヴィア社が、戦後残された設計図をもとに、エンジンなど、ドイツ国からの供給で賄っていた部分を代用品に置き換えて再度生産を開始して製造した機体である。
アヴィア社は戦後もBf109G型をアヴィア S-99の名称で生産し続けたが、倉庫の火災で多くの DB 605 エンジンが焼失したため、間もなくエンジン在庫が底を付くこととなった。そこで、引き続きBf
109Gの機体を使用し、入手不能となったオリジナルのエンジンでなく、代替エンジンを使用したのがS-199であった。DB 605に代えてHe111で使用されていたJumo211とプロペラが使用されることに決まった。これらの部品を組み合わせた結果、S-199の飛行特性は非常にお粗末なものになってしまった。Jumo211はDB
605に比べて重く、応答性に欠け、幅広のパドル形ブレードのプロペラが発生するカウンタートルクは操縦をひどく難しいものにしていた。これにBf109の降着装置特有の狭い車輪間隔が加わり、離着陸時は非常に危険性が高かった。最後の隠された危険は機銃の同調装置にあり、意図したようにはうまく作動しなかった。実際にイスラエル空軍では、数機が自機のプロペラを打ち抜く事故を起こした。
総計550機程のS-199が製造され、その中の何機かは練習機型のCS-199(武装有り)とC-210(武装無し)に改装された。初飛行は1947年3月に行われ、生産は1949年に終了した。 |
デカールはチェコ軍3種とイスラエル軍3種です。
イスラエルの代理人は、当時イスラエルが各国から武器禁輸の封じ込めを受けていたなかで、チェコスロバキア政府とアヴィア S-199の購入についての交渉を行った。イスラエルは25機を購入し、うち2機を除いて納入された。
第1陣の機体は、イスラエルの独立宣言の6日後、エジプトによる敵対行為開始の5日後の1948年5月20日に到着した。これらは組み立て後の5月29日に最初の戦闘、テルアビブ南のイスドゥッドと現在のアド・ハロム橋の間にいるエジプト陸軍への攻撃に送り出された。これがイスラエル空軍第101飛行隊の最初の作戦活動であったが、戦闘においてS-199は信頼性に乏しく性能もお粗末であることを露呈した。
さらに整備上の問題があり、何時如何なるときも1回に5機以上は飛行できる状態ではなかった。しかしながらS-199はスピットファイアを含む敵機を撃墜した。アヴィアS-199は同年10月末までにほとんど一線部隊から引き上げられ、その時点で僅か6機が運用されていたのみだった。S-199は12月中旬まで散発的に出撃し続けた。
数々の問題点や操縦士達からの不評にもかかわらず、S-199は第一次中東戦争中の活躍により、イスラエル空軍の第一線の戦闘機という栄誉を得た。 |
|