ミラージュホビー 1/48 MR481008
ギリシャ・PZL P.24G戦闘機1940/1941年
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  ギリシャ空軍は1937年にP.24Aを5機、1938年にP.24FとP.24Gをそれぞれ25機と6機購入した。1940年のイタリア侵攻前から戦闘機として運用され、ギリシャ・イタリア戦争時にイタリア空軍、後にドイツ空軍とも対峙した。実戦は1940年11月1日にサロニカ上空でのイタリア空軍との戦闘を皮切りに、後のドイツ侵攻時にも前戦で運用されている。1940年11月2日にはマリノス・ミトラレクシスの操縦する機体がイタリア空軍の爆撃機であるサヴォイア・マルケッティ SM.79を機銃攻撃によって1機撃墜した後、体当たりによってもう1機を緊急着陸させて敵機の乗組員を捕虜とし、また1940年11月19日にはイタリア空軍のCR.42とG.50を相手にグロスター グラディエーターを率いて戦闘し、撃墜数4機に対して味方1機の損失を記録するなど、当初は活躍したものの、1941年4月以降に参入したドイツ空軍との戦闘では明らかに劣勢となり、同年4月23日に最後の1機となったP.24がイギリス空軍のウェストランド ライサンダー6機と共にクレタ島からエジプトに向けて飛行した。最終的に、P.24の撃墜数はイタリア空軍とドイツ空軍を合わせて40機であったのに対し、運用されたP.24の36機中35機が失われている。この中の1機はイタリア軍により鹵獲され、ローマ郊外にて飛行試験を受けている。