マスターボックス 1/72 MB72002
英・マークI型菱形戦車-雌型(機銃搭載)1916年
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  塹ビッグ・ウィリーの最初の走行試験は、1915年12月3日にイギリス陸軍将官や政府高官の前で行われた。試験において本車の高い能力が確認されたため1916年2月に「Mk.I戦車」としてイギリス陸軍に制式採用され、40両(後に100両)の生産型が発注されていよいよ実用化まで達することとなった。ドイツ軍に情報が漏れるのを防ぐため、「タンク」と呼ぶことにし、以後これが戦車の代名詞として用いられることとなった。
車体前部には操縦手用と車長用のキューポラが張り出し、車体左右側面の脱着可能なスポンソンには旋回角の小さな砲架に搭載された主武装が装備された。車体後部に装着された車輪2輪は操舵を補助すると同時に、車体の全長を増やすことで超壕力を向上させる役目も担っていた。しかしこの車輪は戦闘時に破損し易かったため、1916年11月以降は外されている。これ以外にMk.I戦車の外見上の特徴には、車体上部に装着された木製または金属製の骨組みに金網を張った対手榴弾ガードがあった。
Mk.I戦車は40口径6ポンド戦車砲2門を搭載し敵の砲や要塞、防御施設を攻撃する「雄型」と、ヴィッカーズ液冷重機関銃4挺を装備して、雄型を敵の歩兵の攻撃から援護したり敵歩兵を掃討する「雌型」の2種類が製作され、雌型のスポンソンは雄型のものに比べ若干大きかった。
Mk.I戦車が最初に実戦に投入されたのは、ソンム会戦の最中の1916年9月15日である。イギリス陸軍は50両のMk.I戦車を前線に集めることができたが、その内18両は進撃開始までに故障で停止し、残った32両は数両ずつ分散して突撃部隊の先頭に立った。突撃そのものは成功し、Mk.I戦車は戦線に数kmの穴を開けることができたものの、戦局に与えた影響は軽微だった。しかしドイツ軍はこの見慣れない兵器の出現にパニックに陥り、イギリス軍前線部隊では戦車の威力を確信して大量産を求めた。
Mk.I戦車は1916年7〜11月のソンム会戦、1917年4月のアラス戦、6月のメッシーヌ戦、7〜10月の第3次イープル会戦などに投入されたがMk.IV戦車の配備と共に第一線から退き、イギリス本国で訓練戦車として使用された他、一部の車両は無線戦車や補給戦車などの各種特殊車両に改修されている。





パーツ全体です。手榴弾よけネットはエッチング製です。



車体下部底面です。



菱形の形状をみせる側面です。



上面はも排気管の開口部以外は非常にシンプルです。



スライド型で一体成型された操縦室展望塔です。前面のクラッペは
別パーツなので開いた状態にもできます。



Mk.IV以降のタイプと異なり非常に大きな機銃スポンソンです。



スポンソン部もスライド型で上面を除き一体で成型されています。



大直径の機銃旋回部と水冷式ビッカース機関銃です。



後ろに引っ張る操行補助用車輪の緩衝バネです。



操行補助輪とそのアームです。



手榴弾よけの屋根型フレームと車体後面です。



履帯は軟質樹脂製です。


上面の手榴弾よけネットや尾輪などにエッチングパーツが使われています。