![]() マスターボックス 1/35 MB35108 元帥将軍6体セット日英米独露仏各1体 価格はリストに掲載されています。ご覧下さい。 日本陸軍・杉山 元 英・バーナード・モントゴメリー 米・ジョージ・パットン 独・エーリッヒ・マンシュタイン 露・ゲオルギー・ジューコフ 仏・シャルル・ドゴール |
![]() パーツ全体です。 ![]() 杉山 元 陸軍士官学校12期卒 日露戦争に従軍し顔面に負傷 1922年初代陸軍省軍務局航空課長、陸軍航空隊の元となる。 1936年226事件では鎮圧側、教育総監に就任 1937年陸軍大臣就任 1940年〜1944年まで陸軍参謀総長 1943年元帥に昇進 1945年9月12日自決 ![]() バーナード・ロー・モントゴメリー 第一次大戦に従軍、大戦終結時は師団参謀将校。 大戦後も軍に残り教官などを歴任 第二次大戦では第三師団指揮官としてフランスに駐留 1942年北アフリカの第八軍指揮官に就任、DAKを破る。 1943年シシリー攻略に参加、パットンとの衝突する。 1944年アイゼンハワーが就任するまで連合軍最高司令官 ノルマンディー戦では英軍最高司令官として終戦まで就任 最終階級、陸軍元帥 ![]() ジョージ・スミス・パットン・ジュニア *パッケージに描かれている犬は付属していません。* 第一次大戦では米軍唯一の戦車部隊を指揮。 第二次大戦に米軍が参戦すると北アフリカの米軍を指揮。 北アフリカの功績でシチリア攻撃の指揮を執るも性格が上層部 の反感を買い兵士殴打事件を過剰に問題視され待機となる。 ノルマンディー戦では第3軍の指揮を執りファレーズ包囲を成す。 バルジ戦ではドイツ軍の側面を突き攻撃を頓挫させた。 1945年12月21日事故で急死。最終階級陸軍大将。 ![]() エーリッヒ・フォン・マンシュタイン プロイセン陸軍大学入学中第一次大戦勃発、東西両戦線に従事 第一次大戦後、国防軍に残り参謀職などを歴任。 ポーランド戦ではルントシュテットの参謀職 フランス戦ではマンシュタインプランを提示し採用される。 功績により騎士鉄十時章を受賞する。 独ソ戦では第11軍指揮官としてセバストポリ攻略などの功績で 元帥に昇格。第3次ハリコフ戦では戦線の崩壊を食い止める。 またクルスク戦では南方軍の指揮を執るなどしたが ヒトラーの戦争指導との相違により1944年には予備役となる。 戦後は西ドイツ国防軍の創設などに尽力した。 ![]() ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ ロシア革命で共産党に入党、赤軍の一員として内戦を戦う。 1939年ノモンハンで日本軍第6軍を殲滅、ソ連邦英雄を授与される。 1940年には上級大将となり1941年には参謀総長となる。 1941年ドイツが侵略してくるとレニングラード防衛に成功。 モスクワでは大規模な部隊移動を成し遂げモスクワ防衛にも成功。 スターリングラード戦では第6軍を包囲殲滅し元帥に昇格する。 クルスクやバグラチオンなど多くの作戦で作戦統括を行い ベルリン戦では第1白ロシア軍の指揮を執りベルリンを占領。 戦後も長く軍に留まり政界などにも進出1974年没。 ![]() シャルル・ド・ゴール 第一次大戦では大尉としてベルダン戦などに従事、捕虜生活も経験。 戦後はポーランド軍事顧問や士官学校教官などを歴任 フランス戦では第4機甲師団を指揮し反撃を行う。 フランス休戦後はロンドンで自由フランスを立ち上げ ドイツ軍との徹底抗戦を指導、レジスタンスなどと連携 ノルマンディー戦では自由フランス軍を率いてパリを開放 戦後は大統領などを歴任し戦後のフランスの基礎を作った。 |