スノーマンモデル 1/700 SP07039
独・巡洋戦艦デアフリンガー・WL+FF-33E水上機・1917
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デアフリンガー級巡洋戦艦はドイツ帝国海軍の巡洋戦艦の艦級で同型艦は3隻である。ドイツ海軍では大型巡洋艦に類別していた。
その設計は全くの新設計となり、船体は平甲板型であるが、やや強いシアを採用、機関系統は重油と石炭を一緒に焚ける混焼缶を採用した。さらに本艦は、ドイツの巡洋戦艦の主砲として初めて30.5cm砲を採用した。さらに全ての主砲塔を艦の中心線上に配置したことにより、主砲塔の数は前級の巡洋戦艦より1基少ないが艦首部分と艦尾部分に2基ずつ背負式で配置し、良好な射角を得た。主砲塔1基分の軽量化により装甲厚の増加、防御区画の拡大、水密区画の増加にまわし、防御能力は早期の弩級戦艦並となった。
デアフリンガーは就役するとフランツ・フォン・ヒッパー中将の第1偵察隊に配属された。第一次世界大戦が勃発すると、1914年12月14日にはヨークシャーのスカーボロ砲撃に参加した。
その後ドッガー・バンク海戦に参加し、3発の砲弾を受けたがイギリス海軍の旗艦ライオンに砲弾を命中させている。1916年4月24日、デアフリンガーはグレート・ヤーマスとローストフトに対する砲撃に参加した。
1916年5月31日のユトランド沖海戦ではイギリス海軍の巡洋戦艦クイーン・メリーとインヴィンシブルを撃沈したが、デアフリンガー自身も21発の直撃弾を受けて大破し、その修理に4ヶ月を要した。
1917年に前方マストを棒檣だったのを三脚檣に改造し指揮所を増設した。
第一次世界大戦の敗戦後はスカパ・フローに回航された。だがイギリス軍への引渡しを潔しとしなかった乗組員によって、1919年6月21日に自沈させられた。沈没したデアフリンガーは1939年に引き上げられたが、解体されたのは第二次世界大戦が終わった後である。 |
1917年に前部マストを三脚檣に改造し指揮所も増設された。
フリードリッヒス・ハーフェンFF-33型水上偵察機
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