AJMモデルス 1/700 PJ70030
英・C級軽巡洋艦・HMSコベントリー・1942
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全長140m・満載排水量4,190t・蒸気タービン2基・最大速力29ノット・QF4インチ MkV砲10門・8連装2ポンド砲ポンポン砲1基・0.5インチ4連装対空機関銃2基

HMSコベントリーはイギリス海軍のC級軽巡洋艦で、イギリスの都市コベントリーにちなんで命名された。
コベントリーは1918年2月に就役した。1920年末に改装に入り、改装が完了すると地中海艦隊の旗艦となりった。1923年3月にジブラルタル滞在中の魚雷爆発により、乗組員2名が死亡した。1935年、コベントリーは対空巡洋艦として改修されるためにポーツマス造船所に入った。この改修には、6インチ砲と魚雷発射管が取り外され、10 基の QF4インチ MkV砲が高角架台に取り付けられ、2基の8連装2ポンド砲ポンポン砲も取り付けられた。第二次世界大戦の勃発時、HMSコヴェントリーは本国艦隊に所属していたが、1940 年1月1日にスコットランド北部のシェトランド諸島に対するドイツ軍の空襲で損傷した。1940 年に地中海艦隊に配属され、地中海東部でイタリア潜水艦ネゲリの魚雷攻撃を受けて損傷した。コベントリーはスパルティベント岬の戦いにも参加した。
1941年5月18日、最初の地中海戦役ビクトリアクロスは、 1941年5月17日にクレタ島沖でドイツ軍Ju87急降下爆撃機の攻撃を受けた際のコベントリー乗艦中の「偉大な勇気と忍耐力」を讃えて、アルフレッド・エドワード・セフトン兵曹に死後授与された。コベントリーはJu87による攻撃を受けていた病院船アバの救援に向かった。敵が機関銃でコベントリーと交戦したとき、セフトン兵曹は致命傷を負ったが、攻撃が終わるまで任務を遂行した。彼はその傷がもとで翌日死亡した。セフトン兵曹は水葬された。1942年9月14日、アレクサンドリアの北西でJu 88の攻撃により大破した。船は炎上し、HMSズールーにより自沈させられた。